リコーダーが日本の音楽教育に取り入れられた経緯


皆様はリコーダーが教育用楽器として日本に導入された経緯をご存知でしょうか?


東京藝術大学の山中和佳子氏の「戦後日本の小学校における縦笛およびリコーダーの導入過程(音楽教育実践ジャーナル2010)」や、国立教育政策研究所の学習指導要領データベース(https://www.nier.go.jp/guideline/)を参考に、少し整理してみました。

 

 そのはじまりは1939年、坂本良隆と言う音楽家がドイツ留学から帰国の際に、リコーダー(ソプラノ、アルト、テナー)を持ち帰ったことに端を発します。その後、これらの笛は日管(日本管楽器製造株式会社)に持ち込まれ、1943年には試作品のアルトリコーダーが制作されました。同時に坂本氏は「児童の為の木笛の手引(ソプラノ)」なる本を出版しています。なぜソプラノとアルトで揃えなかったのか…。


 ドイツの学校教育で木笛(リコーダー)が盛んに使われている場面を体験した坂本氏は「日本の教育にも有用だ!」とその普及を目指します。しかし残念ながら時は第二次世界大戦の最中、材料となる木材にまで規制が入るようになってしまい、1943年以降は笛づくりを断念せざるを得なくなったのでした。

 

 そして戦後、1947年に学習指導要領の音楽科編が策定された際に「3年生からは打楽器に加えて笛、ハーモニカ、木琴、ピアノ、オルガンなど…」と「笛」に関して記述されています。しかし戦後の混乱期もあり、楽器や音楽の専門家が関与しない「おもちゃ」レベルの笛が出回る事態に…。こうした状況を改善すべく1948年には教育用楽器審査委員会が結成され「まず音程を最重要視する」「オーケストラ楽器への移行の第一歩となる」といった基準が設けられるようになりました。

 

 当時の日本の縦笛は6穴(裏穴ナシ、表6)のモノが多く、「右手薬指」まで全部押さえて「ド」の音が出る構造になっていました。またつなぎのない1本管だったため、管の抜き差しによるピッチ調整も不可能な代物です。

 

 これに対してフルート等のオーケストラ楽器は「右手小指」まで押さえて「ド」が出るものが主流です。右手薬指でドを出す6穴笛では1つずれてしまいますね。将来的なオケ楽器への移行を目標としたい審査会ではこの点を非常に問題視しました。しかしこの時代、6穴笛が世間に出回りすぎていて審査対象から除外することはできず、音程のマシな6穴笛が選ばれていきました。


さて、リコーダーの話に戻ります。

 

 戦争が終わって落ち着き始めた1950年頃から日管はリコーダーの制作に取り掛かり、1955年に「スぺリオパイプ」というユリア樹脂製のリコーダーの販売を開始します。裏穴1、表穴7の「右手小指」で「ド」を鳴らす8穴笛です。しかも吹口と歌口を含む上部、運指用の下部に分割されていたためピッチ調整が可能なものでした。

 

(※スぺリオパイプを学校で習った、現物を持ってる、の人がいらっしゃいましたらご連絡下さい。お話を聞いてみたいですので)

 

 審査委員会の理想に噛み合ったスぺリオパイプは当時の笛業界に衝撃を与え、この発売をきっかけに6穴笛を製作していたメーカーが次々にプラスチック製リコーダーの製造に取り組んでいくことになります。こうして始まったメーカー間の競争が品質改良や価格低下に結びつき、現代まで続くリコーダーの普及へと繋がっていくのでした。

 

「余談」

そういえばティンホイッスルは6穴ですが、右手薬指まで押さえて「実音レ」なので比較的リコーダーからの移行はスムーズですね。(移動ド法では全部おさえてドですが)